五貫堀にかかる橋を太鼓橋といいます。 もともとは板の橋がかかっていましたが、水害などでたびたび落ちて不便だったそうです。そこで享保2年(1717)に倉賀野宿内の旅籠屋が拠出した金200両で、石の橋に架け替えたそうです。 しかし実際にはお金は宿内の旅籠屋の飯盛女(めしもりおんな)から、半ば強制的に出させられたとも言われています。 現在では太鼓橋は石橋からコンクリート製になっています。